日本で初めての高速道路である名神高速道路尼崎lC(インターチェンジ)から栗東lCの71kmが昭和38年に開通して今年の7月16日で50年になります。この間、国内の貨物輸送は約1800億トンキロから3倍の約5200億トンキロに伸び、このうち自動車輸送は約8倍となっています。現在、全国の高速道路の総延長は約1万km以上で1日約700万台もの利用があり、「日本社会経済活動の牽引役」として、当時の期待を十分に果たしています。
昭和38年7月、日本初の高速道路が開通
何もかもがはじめて
厳格な構造物の品質管理を行う必要があるため転圧機械や掘削機、締固め機械に大型施工機械が導入されました。天王山トンネル・梶原トンネルでは、地質の悪い箇所の山を支える部材を木製支保工から鋼アーチ支保工に変更し、安全に早く施工できるようになりました。今でも鋼アーチ支保工は、吹付コンクリートやロックボルトなどと併用して「NATM(ナトム)工法」で使用されています。
時速100kmというこれまで考えられなかった速度で走行する車両と道路の関わり合いを調べるため、昭和36年に完成した山科パスストップ付近の区間で、4カ月を超える国産自動車による高速走行試験が行われました。クルマの性能試験、騒音、タイヤの滑り試験や案内標識の文字の大きさや色、中央分離帯の植栽間隔などの試験が行われ、そこで浮き彫りになった問題点が、その後の道路設計や自動車の技術改善に生かされました。