井戸 祥文
IDO YOSHIFUMI
本社 人事部 人事課
2000年入社 工学研究科 生産科学専攻 修了
CAREER HISTORY
井戸 祥文
IDO YOSHIFUMI
本社 人事部 人事課
2000年入社 工学研究科 生産科学専攻 修了
交通管制システムに興味があったことや、まさに高速道路にETCが導入される時期だったこともあり、情報通信の世界から高速道路の未来に関わりたいとの思いから日本道路公団を志望。東京第二管理局(現:NEXCO東日本管轄)の保全部に配属となり、希望していた交通管制システムを構成する情報処理装置の維持管理や更新工事を担当した。
忘れられないのは、入社間もない4月24日、全国に先駆けて千葉地区でのETCの試行運用開始に参画できたこと。運用開始直後はトラブルも多く、新技術の導入の難しさを感じたが、先輩たちが情熱をもって一つずつシステム改善していく様子を間近で見て、自分たちの使命を実感。お客さまに最善のサービスを提供するために全力を尽くす高速道路の現業を経験した。
北陸支社 湯沢管理事務所に異動。関越自動車道(群馬・新潟県域)の電気、機械、通信、建築施設の維持管理業務全般に携わる。この区間には、当時は日本最長となる約11㎞の「関越トンネル」があり、老朽化した施設の更新や工事監督業務などに従事した。
現場には、若手のアイデアを柔軟に取り入れてくれる風土があった。「関越トンネル」の延長11㎞と開通以来の通行台数が1.1億台に到達することをかけた記念イベントを提案したところ上司が「ぜひやろう」と後押し。事務所一丸となってイベント企画を準備し、セレモニーでお客様が喜んでくれる顔を見たときの感動と達成感は今でもよく覚えている。
上司の推薦もあって政策研究大学院大学に1年間留学。大学では、中央省庁や地方自治体、インフラ関係の民間会社からの派遣など多様なメンバーと共に、主に知的財産や経済、経営等について学んだ。卒論テーマは、「公的インフラ企業の民営化自由化に伴う研究開発の在り方について」。まもなく誕生する新しい組織で、何ができるか考えていた。
このとき、新潟県中越地震が発生。前任地の関越道も被災していたことから、応援派遣に手を挙げ、現場経験者として災害復旧工事にも従事した。
日本道路公団が民営化。NEXCO西日本が発足したが、NEXCO中日本 関東支社 横浜技術事務所に出向し、当時、担当していた首都圏中央連絡自動車道(あきる野~八王子JCT)や新東名高速道路の建設業務に継続して従事。初めての建設事業。圏央道の開通直前に異動になったが、自分の仕事が地図に残る喜びを初めて味わうことができた。
本社の施設グループは、施設に関する事業計画や新技術の導入検討など、会社の事業全体に関わる方向性を決める組織。NEXCO東日本・中日本やNEXCO総研などと調整しながら、高速道路設備に関する技術的な仕様検討を担当した。
思い出深い業務としては、老朽化に伴う「非常電話」の更新に向け、次世代非常電話のプロジェクトを立ち上げ、メーカーと試行錯誤を繰り返してプロトタイプモデルを製作したこと。その実機が現在も西日本各地の高速道路上に設置されている。
また、施設社員の採用や研修も担当。これまでの自分の経験を踏まえ、これからの技術者に必要なカリキュラムを立案。試行錯誤したが、未来を担う人材を育てることにやりがいを感じた。
事務所では課長職として西名阪道や阪和道などの施設の維持管理を担当。西名阪道の大和まほろばスマートICや郡山下ツ道(しもつみち)ジャンクションの建設事業にも従事した。高速道路事務所は、お客様へのサービスの最前線。ETCをはじめ、設備の故障はそのままサービス低下につながる。しかし、経年劣化や落雷などによって毎日のようにトラブルが発生し、その対策に苦慮した。「故障が二度と起こらないようにしよう」と部下やグループ会社のメンバーたちとチーム一丸となって原因をあぶり出し、装置を改善。故障が激減した時には、みんなで喜びを分かち合った。
支社は、現場と本社をつなぎ、事業が滞りなく進むように調整を行う、要のようなポジション。課長代理として支社管内の高速道路の建設にかかる事業調整業務全般を担当した。新名神高速道路建設というビッグプロジェクトが進行中ということもあり、日々奮闘した。
ここで新たに挑戦したのが、新規路線の事業化。阪和道・湯浅御坊道路は、大阪から人気観光地、南紀白浜などへ通じる関西有数の渋滞ポイントであり、和歌山県にとって命の道。この区間の4車線化を事業化するために整備効果や建設に際しての課題、事業費などのとりまとめを行った。無事、国の事業許可がおり、事業をスタートさせることができた。地元に必要とされ、親しまれる道となるよう、着手式を企画。沿線の市町村に連絡を取り、地元のゆるキャラに参加してもらうなどのイベントを開催した。その道路が、2021年12月に開通し、喜びもひとしおだ。
支社から新名神高速道路の建設現場へ。工事長として高槻JCT~神戸JCTのうち、高槻市域および茨木市域の施設工事を担当。部下3名と施工管理員30人という多くのスタッフを抱え、限られた期間の中でビッグプロジェクトを推進した。
中でも「神峰山(かぶさん)トンネル」は、高速道路の進化に向けての実験フィールドとして、高機能LED照明や自走式ロボットカメラなどの先進技術を導入に向けたテストを行った。また、女性技術者を中心とした「けんせつ小町チーム」を結成。彼女たちのアイデアを積極的に採用し、地元木材を使ったスマートな外観や利用者が使いやすく、またメンテナンスしやすい「茨木千提寺PA」を完成させた。
実際の工事は、困難の連続だった。施設工事は、土木工事と足並みをそろえて進めていく。難所続きで土木工事が工程通り進まない箇所があれば、施設工事はそれを踏まえて、工程を再調整することも必要だった。厳しい状況の中、みんなが「何とかしよう」と工期短縮につながる方法を積極的に提案してくれた。時間との闘いだった。2017年12月10日、開通日の朝まで設備の最終調整に奔走。最初の1台となるお客様の車をトンネル入り口で見送った。お客様と手を振りあった時、「何とか間に合った」という安堵でいっぱいだった。
施設技術課 課長代理として、高速道路の施設に関する技術基準の策定や新技術開発を進めるともに、施設社員の働き方改革の旗振り役として従事。現場を知っているからこそできる業務改善策を立案し、実施した。
何よりもうれしかったのは、かつて自分が採用・研修を担当した社員が立派に成長し、一緒に仕事をすることができたこと。人を育てる喜びを再認識した。
現在、人事部で主に施設職の採用や任用、研修を担当。自分の経験を踏まえつつ、若い社員がやりがいと成長を感じられるような職場環境づくりや時代に即した人材育成ができるよう務めている。
施設職として、お客様のサービス向上につながる、「日本初」「世界初」となるような新技術や仕組みづくりにチャレンジし続けたいと思っています。
高齢化が進み、労働人口が減少する日本で、都市部から山間部まで、ユニバーサルサービスを提供していくためには、無人化や省力化は必須。今後、ICTを活用し、無人運用できる施設をつくってもいいし、これまで通過していた地元の特産品を事前に注文して、最寄りのSA・PAでピックアップできるアンテナショップ的な施設も考えられる。高速道路上の各種設備も、IoTを活用し予知・予防保全で故障する前にメンテナンスできるようにできれば、効率は上がります。「解けない問題はない。必ず道筋はある」と思っています。新たな視点や発想を取り入れた施設をプロデュースし、高速道路の魅力やサービス向上に務めていきたいと思います。